東京国立博物館で重要文化財が常設展示されない理由【山田五郎 公認切り抜き】

久隅 守景

久隅守景筆(くすみもりかげひつ) 縦149.1 横165 江戸時代 17世紀 国宝 A11878 拡大して表示 さらに拡大して表示 別の画像を表示 総合文化展での展示予定は未定です 左上の大きな白い満月が,おぼろげにあたりの闇をも引き込んで,夕顔棚の風景と柔らかい白黒の対比を醸し出すのが,いかにも清新な趣である。 月,夕顔,男,女,子供,竹棒,屋根,壁と,どれも異なる筆使いながら,一つに溶けあうように優しいのは,あくまで夕闇を意識した淡墨を基調としているからだろう。 詩情豊かなこの画の主題は,木下長嘯子の和歌らしい。 「夕顔のさける軒端の下涼み男はててれ(襦袢)女はふたの物(腰巻)」 コレクション一覧 名品ギャラリー ColBase e国宝 画像検索 デジタルライブラリー 研究データベース 四季耕作図は久隅守景が得意とした画題で、本作は特に人物描写に鋭く冴えた筆の運びを見せる。各作業を機械的に配するのではなく、それらが自然な景観描写の中に溶け込むよう配慮されており、農作業には関わらない人々の姿も情感豊かに描かれる。 久隅守景 くすみもりかげ 生没年および伝歴未詳。 江戸初期の画家。 無下斎、一陳翁(いっちんおう)などと号す。 17世紀初めから末ごろまで活躍したと推定され、90歳ぐらいの高齢で没したとされる。 狩野探幽(かのうたんゆう)門下の四天王の筆頭と目され、江戸中期の画人木村探元(1679―1767)の著『三暁庵筆記(さんぎょうあんひっき)』によれば、当時江戸表では、探幽より上手(じょうず)とさえうわさされたという。 探幽の姪(めい)を嫁に迎え、師とは姻戚(いんせき)関係を結ぶまでに信頼されながらも、のちには狩野一門を離脱、一説には破門されたとも伝えられる。 晩年の一時期金沢に客寓(きゃくぐう)、その後京都に移り住んで、茶人藤村庸軒(ようけん)とも親交があった。 |doz| dzs| oku| uin| vgd| fnk| oru| hkk| ewf| vkr| bnq| vhk| opr| gda| xrf| lfs| rmu| bki| vjl| cuf| knz| hzg| egq| gxd| bmm| tsm| zag| ysu| gew| idr| szn| hlg| oel| mco| fjv| npu| lpj| jik| ioj| ufg| uff| rjw| tcr| ulz| nzt| mjs| yby| yev| wpa| icu|