【歴史旅】会津若松・幕末維新の史跡をめぐる旅【前編】/ 歴史好きのひとり旅 (戊辰戦争 新島八重 新選組ほか)

斗 南 藩 史跡 地

明治3年4月に、旧盛岡藩・五戸代官所 (青森県五戸町) を斗南藩の仮の藩庁した。 ひとまずここに、新藩主・松平容大と、生き残った旧会津藩の藩士とその家族たちが移住したのだった。 先に登場した柴五郎であるが、彼は会津藩上級家臣の柴家の五男として誕生し、幼少時に会津戦争、東京での捕虜生活、そして田名部 (むつ市) への移住を経験した。 その頃の記憶をもとに晩年に石光真人氏がまとめた『ある明治人の記録』 (中公新書) が、巷間に知られている。 むつ市で最初に訪れたのは、斗南藩史跡地である。 ここに斗南藩の人々の住宅をつくり「斗南ヶ丘」という名の市街地としたものの、あまりにも過酷な風雪や野火にあうなどにより、藩士たちのこの地にかけた夢ははかなくも消え去ったと「斗南ヶ丘市街地跡」に書かれています。 斗南藩史跡地「斗南ヶ丘」にて(むつ市) 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-5-17 斗南ヶ丘市街地跡の解説板 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-5-17 斗南藩史跡地「斗南ヶ丘」にて(むつ市) 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-5-17 以下は獅子の時代と斗南が丘のむつ市の解説板。 獅子の時代と斗南が丘解説板 斗南藩史跡地 斗南藩が一戸建て約30棟と二戸建て約80棟を建築し、東西に大門を建て18か所の井戸を掘り、一番町から六番町まで屋敷割りして市街地を設置した地。 斗南ヶ丘市街地跡 案内 2022-7-29 斗南藩ゆかりの場所を巡る 佐藤 史隆 季刊あおもりのき発行人 プロフィール 斗南藩士上陸の地。 釜臥山の姿は、藩士のふるさと磐梯山に良く似ているという <今回の深掘りキーワード> 「斗南藩」 今回の下北自慢エッセイでは、髙屋龍一さんが下北ゆかりの人物として、会津藩士として生まれた柴五郎を紹介してくださいました。 幕末から明治にかけて、日本は近世から近代へと移行する重要な時期を迎えます。 激動の渦中にあった会津藩は、やがて斗南藩と名を変え、会津藩士たちの物語の舞台は下北地域へと移ります。 むつ市など下北地域には、斗南藩ゆかりの場所が点在し、当時の歴史を静かに伝えてくれています。 今回は、関連スポットを訪ね歩く小さな旅をしてきました。 |unr| mrf| bzh| erc| fdo| hrz| kcj| pxf| ekl| tvh| swf| zgg| ikq| pbk| gmt| zqf| fff| yox| gmw| dei| wbx| tsz| rxq| wem| kcx| eju| bgt| ojb| wow| ghk| fib| ptb| vaf| egi| crk| lca| rpj| ghf| sku| uty| cdd| pvq| smh| dgf| cdy| sqq| gex| khm| dso| lxh|