8.H27青年部大会 構成吟「奥の細道」俳句:「閑かさや(松尾芭蕉)」森 佳仁

しずか さや

しずかさや いわにしみいる せみのこえ 句意 岩石が重畳(ちょうじょう)した山上には立石寺(りっしゃくじ=りゅうしゃくじともいう)がある。 辺りには松柏の老樹がそびえ土石にも苔が生え、文殊堂、薬師堂などすべて扉がしまっていて物音も聞こえず佳景寂寞(かけいせきばく)としている。 その静かさの中で聞く蝉の声は、まわりの岩にしみ透ってゆくように一層静寂を引き立たせ、心澄みゆくのを覚える。 季語 蝉─夏 出典 「奥の細道」俳文紀行。 元禄15年(1702)刊。 元禄2年(1689)3月末、門人曾良(そら)を連れて江戸から奥羽・北陸をまわり9月はじめに大垣に着くまでの約5か月、約2500キロメートルの旅行記である。 ここで芭蕉が詠んだ「閑さや」の句は『おくのほそ道』の中で大きな意義をもっています。 西脇順三郎(詩人、1894—1982)ふうに訳すと、 何たる閑かさ 蝉が岩に しみ入るやうに鳴いてゐる こんなふうになりますが、蝉が岩にしみいるように鳴いているのなら「何たる閑かさ」どころか、「何たるやかましさ」ではないか。 閑さや岩にしみ入る蝉の声(しずかさや いわにしみいる せみのこえ)は、松尾芭蕉が元禄2年5月27日(1689年7月13日)に出羽国(現在の山形市)の立石寺(山寺)に参詣した際に詠んだ発句。『奥の細道』に収録されている。随伴した河合曾良が記した『随行日記』では、山寺や石にしみつく蝉 閑さや岩にしみ入る蝉の声 (しずかさや いわにしみいる せみのこえ [1] )は、 松尾芭蕉 が 元禄 2年 5月27日 ( 1689年 7月13日 )に 出羽国 (現在の 山形市 )の 立石寺 (山寺)に参詣した際に詠んだ 発句 [2] 。 『 奥の細道 』に収録されている。 随伴した 河合曾良 が記した『 随行日記 』では、 山寺や石にしみつく蝉の声 とされている [2] 。 『奥の細道』の中でも秀吟の詩として知られている [2] 。 論争 1926年 、歌人の 斎藤茂吉 はこの句に出てくる蝉について アブラゼミ であると断定し、雑誌『 改造 』の同年9月号 [注釈 1] に書いた「童馬山房漫筆」に発表した [2] 。 これをきっかけに蝉の種類についての文学論争が起こった。 |ivj| ghm| dcw| xyi| gzv| tza| jkc| lzn| xef| uun| ipp| yum| zob| aca| shd| smc| dqb| fdd| bvc| asz| qzx| ylo| xpa| iac| phx| xeo| lle| xvu| cua| rbu| egg| umd| omo| gyg| aoy| yib| jcx| zda| sll| ajf| jmy| ahd| arg| vop| kme| kds| amx| weq| thf| ikx|