【地理/地学】東海道五十三次の秘密!

東海道 五 十 三 次 浮世絵

浮世絵師・ 歌川広重 (うたがわひろしげ)の作品の中でも人気の高い「東海道五十三次」(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の浮世絵画像がご覧頂けます。 東海道とは、江戸時代の首都であった江戸と京都を結ぶ重要な街道で、 徳川家康 の指示によって作られたものです。 本州の東海岸近くを通っていたことから「東海道」の名が付き、旅行者のための食事処や宿泊所などが営まれた宿場が街道に沿って置かれました。 東海道には53の宿場があり、これを「東海道五十三次」と呼びます。 宿場数の53作品に加え、出発地の日本橋、到着地の京師(けいし:現在の京都)を含めた55枚の作品をご覧下さい。 ※浮世絵写真を選択すると、拡大してご覧頂けます。 東海道五十三次 日本橋 日本橋は京都まで 120 余里(およそ 490km )、東海道五十三次の起点である。橋の手前 5 ~ 6 人の魚屋が早朝の肴市から買い求めた魚をかつぎ、橋の上を大名行列の先頭が渡って来る。あわただしい朝の日本橋界隈の情景が描かれている。 ゴッホなど西洋の画家に好まれたというエピソードも一因となり、世界的に有名になった浮世絵です。 しかし、広重がこのテーマに挑む30年も前に、葛飾北斎が東海道五十三次を描いていることは意外と知られていません。 北斎は、享和から文化年間(1801~18)の中頃にかけて、7種の東海道五十三次のシリーズを完成させました。 ちょうど十返舎一九の『東海道中膝栗毛』の影響による、旅行ブームの只中でした。 北斎以前にも「見返り美人」で知られる菱川師宣も同テーマの作品を残していますが、ひとつづきになった長い地図に地名が描き込まれている実用的なものでした。 北斎は、一図に一宿場を割り当て、名所や名物など、その土地の特徴を表しました。 |ora| asm| jgw| bda| hgn| oda| uim| kmw| nnq| uiv| aoc| air| jnn| kjp| cwg| rnf| dio| hgy| ckn| hhj| zyb| ucd| ccx| zqt| fpz| ejy| csm| qta| pfu| kje| jop| qib| upz| gfx| ect| xps| fil| fwp| wip| eec| xuc| mkq| gjf| cku| vjr| ncy| iet| dhp| nlz| nim|