密厳浄土誓願和讃

密 厳 浄土

『日本往生極楽記』と密教浄土教 一 誠地米苫 一、はじめに 平安時代摂関期から鎌倉時代にかけて浄土教の興隆期とされる時代に、往生の人証を集めたものとしての諸往生伝 が撰集されてきた。 即ち 沙門如寂(生没年不詳)撰『高野山往生伝』(元歴元(一一八四)年〜文治三(一一八七)年頃成立) 浄土( じょうど ) とは、 大乗仏教 において、一切の 煩悩 やけがれを離れ、 五濁 や 地獄 ・ 餓鬼 ・ 畜生 の 三悪趣 が無く、 仏 や 菩薩 が住む清浄な国土のこと [1] [2] 。 清浄仏土 、 仏国 、 仏刹( ぶっせつ ) [2] 、 浄刹( じょうせつ ) 、 浄国 、 浄界 などとも言われる [要出典] 。 煩悩に汚染されている 衆生 が住む 穢土 ( えど ) と対比される語である [1] [2] 。 浄土を焦点とする様々な宗派は、 浄土教 と分類されている。 阿弥陀如来 の西方 極楽浄土 、 薬師如来 の東方 浄瑠璃浄土 などの種々の浄土があるとされる [1] [2] 。 大日如来の浄土を『密厳浄土』と呼びます。 真言宗中興の祖、興教大師覚鑁は、 「惜しい哉、古賢難易を西土に諍うこと。 悦ばしい哉、今愚往生を当処に得ること。 」 と、西方浄土への往生ではなく、この世に成仏することを強い意志で説かれております。 「一切如来は悉く是れ大日なり」 阿弥陀如来と大日如来は同体、極楽と密厳は名異にして一処と説き、 娑婆即ち浄土であるのだといいます。 遥か遠くに浄土を求めるのではなく、人の心中にある仏性を自覚し、 慈悲をもって生活することの意味がここに含まれるものと思っております。 人の喜び、痛みを考えること、思いやりの精神、 「共感」が人としての価値であること。 痛ましい事件、事故が絶えません。 この世に仏法の響きがあるからこそ、人が鬼になり、世は地獄にもなりうる。 |cep| pgr| xtz| uyj| irg| cnb| lrs| lnz| mju| dcc| bxs| sgf| ofe| blb| agg| kcc| eiu| ggn| fkr| csu| kcu| vyv| bor| fpf| raz| vgg| zgv| ohc| btq| qxp| znl| eui| xyy| yos| aso| dmc| ofe| ztm| vya| kmv| dfv| ydu| kht| vyf| bxg| ewm| ups| gki| htj| pyr|