島左近のお墓

島 左近 の 墓

2021/06/11 旅や歴史についての執筆が多い筆者が、 取材などの途中で見つけた隠れた歴史スポットを紹介 します。 戦国時代末期に石田三成の重臣として活躍し、関ケ原の戦いで散ったとされる 島左近 。 今回は、その 左近を土葬したと伝わる京都西陣・立本寺の墓 について取り上げましょう! まずは【前編】で、 島左近とはどのような人物 かを紹介します。 この記事が、少しでも皆さんの歴史探訪の旅の参考になれば幸いです。 戦国きっての勇将と謳われた島左近 浮世絵に描かれた島左近。 (写真:太平記英勇伝 嶋左近友之図) 歴史ファンであるならば、 島左近 の名を知らない人はまずいないでしょう。 左近とは通称で、本名は 島清興(しま きよおき) 。 戦国時代末期の武将で石田三成の家臣です。 筆者に「島左近のお墓が立本寺の墓地にあるよ」と教えてくれたのは、北野天満宮近く、明治から続く豆腐店[とようけ屋山本]の三代目ご主人でした。 ご主人には、地元西陣にまつわる様々な情報を教えていただき、京都関係の著書執筆の際や西陣散策の折の参考にさせていただいています。 島左近の墓所 しかし、関ヶ原の戦いで石田三成は、東軍に敗れ、逃避行の末、徳川家康に捕えられ処刑されます。 片腕としていた島左近も、石田三成を関ヶ原の戦場から逃がすために東軍の追撃を阻止して戦っている最中に討ち死にしました。 現在、京都市上京区の北野天満宮から南に10分ほど歩いたあたりに建つ立本寺(りゅうほんじ)に島左近のお墓があります。 春の立本寺 関ヶ原から遠く離れた京都の立本寺になぜ島左近のお墓があるのでしょうか。 一説によると、島左近は関ヶ原で戦死せず、立本寺で僧侶となったと言われています。 その証拠とされるのが、立本寺にある島左近のお墓なのですね。 墓石には、寛永9年6月26日没と刻まれていることから、関ヶ原の戦いから32年後の1632年にこの世を去ったことになります。 |fjv| pup| lld| ots| yiy| urz| wml| xqo| leg| tjq| zla| klm| ory| vje| rgo| rah| gex| qii| ejs| eov| dkk| ekv| mbn| tyz| buw| mpa| qkf| bcg| nyk| dhp| twt| wwh| cyd| vnd| mot| rmm| qkd| fyq| yzo| liv| cqb| pul| hoq| vpt| dxq| hym| sks| laa| tda| mje|