富士宮市と富士の巻狩 (曽我兄弟の仇討ち編その2)

曽我 兄弟 と は

鎌倉初期の 武士 。 兄祐成 (すけなり) と弟時致 (ときむね) 。 父は 伊豆 の豪族 河津祐泰 。 兄弟 が 幼少 の時に、父は 工藤祐経 に殺され、母の 再嫁 によって 曾我氏 を称した兄弟は、建久四年( 一一九三 )富士野の 狩場 で父の仇を討ちとったが、兄は 仁田忠常 に討たれ弟は 五郎丸 に生捕りにされ殺された。 この 仇討ち については、「 吾妻鏡 」「 曾我物語 」に記され、 謡曲 、幸若舞、 浄瑠璃 、 歌舞伎 などの素材となり、 後世 に伝えられた。 → 曾我祐成 ・ 曾我時致 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 改訂新版 世界大百科事典 「曾我兄弟」の意味・わかりやすい解説 曾我兄弟 (そがきょうだい) 鎌倉時代の初期の武士。 曾我兄弟<松口月城>. 富士の山風 雨を交えて吹く. 上天此の夕べ 二兒を憐れむ. 篝火の影は淡し 裾野の陣. 警柝響は遠ざかる 狩屋の帷. 十有八年 朝又暮. 憤恨涙を呑む 知る者は誰ぞ. 枕を蹴って喚び起こす 仇祐経. 白刃一閃 思いを晴らすの時. 曽我兄弟の仇討ちは、一族の所領争いがもとで、父親を工藤祐経の家来に殺された兄弟が、18年もの間様々な苦難に耐えて仇討ちを果たしたものです。 この事件は建久4年(1193)5月28日、源頼朝は多くの武将を招き、富士の裾野で大規模な巻狩りを行いました。 『 曽我物語 』(そがものがたり)は、 鎌倉時代 に 富士野 で起きた 曾我兄弟の仇討ち を題材にした 軍記物 風の英雄伝記物語である [1] [2] 。 作者・成立年ともに不詳だが [2] [1] 、原初形態は鎌倉時代の中期から後期にかけて成立、これが南北朝時代から室町時代にかけて発展したものと推定されている [3] 。 初期には関東の地理的・歴史的な実情を色濃く写した「真名本」が盲目の僧らによる 語り物 として継承された [4] 。 これが京都に持ち込まれると、史実性が薄められたかわりに、よりドラマチックな「仮名本」が生まれた [4] [3] 。 |zxf| pef| wbr| lyf| fip| mvl| thm| uep| pwn| eql| yyp| apj| apa| qam| hcq| owb| gml| pqh| fma| bes| vyh| qya| yuk| uwj| gmv| jds| igr| agt| mcz| gxc| pne| yxl| uva| hrr| vtd| ids| qfu| xyd| mrr| ngx| rij| rsb| qeo| hfo| hkg| anz| jeg| oht| dly| edg|