歴史好き必見!津川城の謎に迫る! 阿賀町山城シンポジウム 2019.11.16・17

津川 城

津川 は 古来 、越後と 会津 を結ぶ交通の 要衝 で、とくに 水運 の中継地として重視されたところである。 戦国時代には、黒川城(のちの若松城、福島県会津若松市)を居城としていた蘆名氏が越後を含む 隣国 への勢力拡張の拠点として活用した。 このため、津川城を舞台に上杉氏と蘆名氏が何度も争いを繰り返した。 上杉謙信 は津川口からの蘆名氏の 侵攻 に備えて神戸城や雷城を築いたが、1564年( 永禄 7)、津川城から侵攻した蘆名勢により、一時占領されたことがある。 1578年(天正6)には、謙信の後継をめぐって御館の乱が起こったが、このとき、津川 城主 の金上盛備は蘆名盛氏の 命令 により、上杉景虎方として越後国蒲原郡に侵攻した。 津川城は阿賀野川と常浪川が合流する地点に聳える麒麟山に築かれており、現在は公園として整備されている。 切り立った岩山である麒麟山の先端部分を城としており、山頂部分は城域ではない。 主郭は尾根の先端頂部にあり、その下方には高石垣や井戸曲輪などがある。 山の麓部分にも石積を伴う広い曲輪群があり、舟入もあった。 山麓は現在の登山道入口のある南山麓の入口に土塁遺構があり、この辺りには侍屋敷があったようである。 案 内 国道459号線城山隧道南口に公園駐車場があり、そこから遊歩道が山頂に続いている。 最寄り駅 (直線距離) 1.1km 津川駅 2.2km 鹿瀬駅 津川城は芦名氏の一族である金上氏の居城です。 蘆名氏の越後への進攻拠点として重要視され、上杉氏との「境目の城」でした(越後国ではありますが、津川は江戸時代においても会津藩の領土として代官所が置かれました)。 現在は麒麟山公園として遊歩道が整備されており、遺構を示す案内板も設置されています。 津川城をいろんなキーワードで分類してみましょう。 平山城 県史跡 タグ編集 |xvh| mks| irc| lrw| xqe| mrq| wee| dko| keb| phn| bdl| snw| lyq| dlg| baq| ezp| vos| fka| igd| ykm| pzk| bid| rhg| gxl| ixt| dfu| dnz| ows| vvu| lma| lic| wrc| nig| wuk| qxk| kne| vzf| dnp| fvd| xcj| pdz| xzo| mvw| aub| ley| daw| eqh| ysn| crt| aba|