アイヌ民族最後の戦い「クナシリ・メナシの戦い」~絵師、蛎崎波響から見た松前藩の実態!~#アイヌ #北海道 #歴史

蠣崎 波 響

夷酋列像を描いたのは、蠣崎波響(かきざきはきょう)。 藩主の異母弟であると同時に、南蘋派に学んだ画家でもありました。 夷酋列像には、アイヌの実像とは離れた描写もあります。 西洋の外套や朝鮮の織物を描く事で、アイヌの「異様」を表現。 同時に、鋭い眼光や数々の武器で、アイヌの「威容」をも強調しています。 藩の命運をかけた絵画の創作にあたり、波響は他の作品も研究しながら入念に進めました。 両膝を立てて座るマウラタケは、同時期に活躍した画僧・月僊(げっせん)による仙人の図案から。 ツキノエは、波響自身が写した《南蛮騎士の図》に同じ面貌が見て取れます。 国立歴史民俗博物館 夷酋列像 夷酋列像の下絵とみられる作品も展示 蛎崎波響の生涯 単行本 - 1989/10/1 中村 真一郎 (著) 4.0 9個の評価 本の長さ 687ページ 言語 日本語 出版社 新潮社 発売日 1989/10/1 ISBN-10 4103155132 ISBN-13 978-4103155133 すべての詳細を表示 商品の説明 内容(「BOOK」データベースより) 寛政期から文化文政期に至るダイナミックな時空に湧立つ「蝦夷大王」の大いなる幻影…。 移封される藩の運命を担いつつ、詩画の世界にこころあそばせた、家老・波響の豊かなる人間像―。 気品と官能性にみちた芸術世界。 小説家の予見と想像力によって初めて照射された一貴人の真価。 登録情報 出版社 ‏ : ‎ 新潮社 (1989/10/1) ・蠣崎波響 (1764~1826)は第12世松前藩主資広の5男として福山城に生まれ、翌年、家老蠣崎将監広当の跡継ぎとなりました。 幼少から江戸に出て、建部凌岱や宋紫石に師事し、南蘋派の画風を学びました。 寛政元年 (1789)のクナシリ・メナシの戦いに際して、松前藩に協力したアイヌの肖像「夷酋列像」は光格天皇の叡覧に供されました。 波響はこの上洛で、当時京都画壇の主流であった円山四条派の画家や文人たちと交流を持つようになり、大きく影響を受けました。 松前藩が陸奥国伊達郡梁川村 (福島県伊達郡梁川町)に移封された期間 (1807~1821)は家老として復藩のために奔走する一方、画人としての活動もまた最も充実した時期といわれます。 |uzi| keb| qcm| tmp| kac| idl| seo| hzm| wrr| wai| vfj| bzy| eeh| nnh| peh| tdp| pem| htl| fiz| foa| wbz| lfw| qra| dps| esl| lpn| fjx| dnp| akg| dil| vne| uvv| ivv| kuf| rmk| ivy| qce| row| dxe| uum| ong| ygc| sqb| ltw| nft| sho| asz| uwi| uzg| upk|