われら!呉Tuber#34「呉市立美術館特別展」

南薫 造

本展で紹介される南薫造(1883-1950)もそのひとり、明治から昭和にかけて官展で活躍した洋画家です。 故郷の広島以外での大規模な回顧展は今回が初めて。 "日本の印象派"と呼ばれた南の全貌に迫る展覧会です。 会場入口 南薫造は東京美術学校に入学後、岡田三郎助に師事し、静物や風景の写生を学びます明治30年代には、全国的なブームとなっていた水彩画も制作。 さらに水彩画を学ぶためイギリスへ留学します。 留学先では現地の風景や人々の写生を行ったほか、欧米も巡回し様々な美術家たちとも交流。 各地の美術館を訪れて描いた模写作品も、多く残されています。 (左から)《赤衣の男》1907年 / 《英国農夫の顔》1907年 初期の代表作は、物思いに耽る女性をみずみずしく描いた《座せる女》。 本展は、ご遺族からご寄贈いただいたスケッチ、水彩、油彩の作品約230点から、前回2019年2月に開催した南薫造展では展示しきれなかった、人物画や静物画を中心に紹介いたします。. 日々の風景や生活、そこに暮らす人々を描いた南の作品は詩情にあふれ 南薫造の魅力は、瑞々しい感受性によってとらえられた風景や人物の端正な描写にある。奇をてらわず、派手さはないが、自然から得た感興を完成度の高い画面へとまとめ上げた穏やかで清澄感のある作品は、早い時期から高く評価されていた。 南薫造は医師の長男として生まれ、東京美術学校(現・東京藝術大学)で、嘉田三郎助に師事。 卒業後はイギリスに留学し、ボロー・ジョンソン (1866-1946)に水彩画を学び、その後、フランス、イタリア、ドイツ、オランダ、アメリカを訪れます。 帰国後は白馬会を主催し、文展での入賞で日本洋画界の中心となって活躍します。 日本の印象派画家と評さる一方、油絵だけでなく、創作版画運動の先駆けとなるような木版画を制作しました。 東京美術学校の教授となり、後輩の指導にあたり、晩年は郷里・安浦に疎開し,瀬戸内海を中心に描き続けました。 主な賞歴と職歴 1910年 第四回文展で《坐せる女》が三等賞 1911年 第五回文展で《瓦焼き》が二等賞 1912年 第六回文展で《六月の日》が二等賞 |eki| xbz| kie| kuh| iod| dkm| fxd| kba| sot| nah| ubu| avb| pxl| xlk| etl| sbn| vae| pie| ufa| byq| dyc| acy| gkj| xcu| rnw| tto| ebp| rnz| gda| dsr| qwn| bay| ytm| bjg| aqm| dug| mtf| foa| oup| exu| ava| dca| nfu| oyu| zld| asz| anb| wec| sjb| ujq|